ブログで再三書いてますが
ボクはRCサクセションの
「君が僕を知ってる」
という曲が大好きです。




大好きすぎて、自分の葬式の時には
必ずかけてほしいと周囲には伝えています。


そのくらい好きです。

今回、ネットニュースで知ったのですが
木村拓哉さん出演のLINEのCM
木村さん自身が弾き語りを披露するのだとか。
CMでは弾き語りをしてほしいというリクエストに対し、木村は「君が僕を知ってる」をチョイス。「テーマが『友達』ということだったので何がいいかとすごく考えた。それで思いついたのは昔にコピーライターの糸井重里さんから『素敵な曲があるよ』教えてもらったこの曲。当時、本当に浮足立っていた自分がいたんですけど、あの曲に出会って非常に救われました。ふらつきそうになっていた自分があの曲に込められたメッセージによってすごくギュッとふらつきを止めていただいたような感じの思い入れがあったので選ばせていただきました」と選曲理由を語った。
(ナタリーより引用)。

この「君が僕を知ってる」という曲は
世間的に見れば
いわゆる隠れた名曲というやつでしょう。

RCサクセションで最も有名なのは
「雨あがりの夜空に」
になるのでしょうが、
この曲はそのカップリング、B面です。


(Amazonではこのシングルを扱っていないようで
ジャケットが違うのがちょっと残念ですね)

A面の「雨あがりの夜空に」は新生RCサクセションの、
「俺達は売れたいんだ!」
という、とてもわかりやすい決意表明と、
「これからはローリング・ストーンズをパクります!」
というコンセプトがこれでもかと詰め込まれています。

これだけ意図的作為的に作った曲が
いまでも歌い継がれているというあたり、
いかに忌野清志郎が優秀なプロデューサーだったかということが
うかがい知れます。

その一方で「君が僕を知ってる」に関しては
曲調やアレンジからは
特に気負いは感じられません。

B面らしい、ちょっとした佳曲、小品といった趣があります。

きっとそこがいいのでしょう。

清志郎のソングライターとしての繊細さと伸びやかさが
いかんなく発揮されています。

しかし、こんな軽やかな楽曲なのに
歌い出しが

今までしてきた悪いことだけで
僕が明日、有名になっても
どうってことないぜ
まるで気にしない
君が僕を知ってる

ですからね。

主人公はいったいどんな過去を背負ってきたのでしょう。

いきなりざわざわしてしまいます。

でも、他ならぬ君が僕を知っていてくれているから大丈夫と
少しも心配している様子はなさそうです。

人間関係において、これは究極の関係ですよね。

人生においての最大の理解者がいて、
自分の過去もすべて、何から何までわかっていてくれていて、
その人がいるから、自分の犯した罪だって赦されるーーー。

ここまできて、
ボクはふと疑問に思いました。

「知ってる」
という距離感、おかしくないか、と。


何から何までわかっていてくれる相手は
「知ってる」という間柄なわけではありませんよね。

「ああ、原くんね、何回か会ったことあるよ。
知ってる知ってる」

くらいが知ってるだと思いますが
自分のことを誰よりも理解してくれているあの人は
決して「知ってる」程度ではないでしょう。

ボクは考えました。
ずーっとずーっと考えました。

そしてこのように思いました。

何から何まで、自分のことをわかっていてくれるという相互理解、
信頼感、絆というのは
ともすれば懐疑的にも思えてしまいます。

「そんな人間関係、あり得ないだろ」
と、言いたくなる気持ちを押さえられません。

でも、この曲ではあえて、他者との究極の関係、
理想の関係について
「知ってる」
という暑苦しくない言葉に置き換えることで、
聴いているボクたちは
そうやって信頼すべき相手を
そしてこの楽曲自体を疑ってかかることから
解放され、
自由に伸び伸びと聴くことができるようになるのです。

だからこの曲は聴けば聴くほど
どんどん深みにはまります。

「あれ、これは決して、男女の関係の曲じゃあないよね?」
と気づいてしまうのです。

そう、アナタと誰か、自分と身近な他者すべての関係に
当てはめることができるのです。

忌野清志郎の名曲のいくつかは
男女のラブソングに見せかけて、
実は深い人間愛を掘り下げているものがあります。


有名なのは「デイ・ドリーム・ビリーバー」ですね。


もういまは彼女はどこにもいない
朝早く目覚ましが鳴っても
そういつも彼女と暮らしてきたよ
ケンカしたり仲直りしたり

この曲は、実は清志郎が亡き母に向けて書いた曲です。

どこにもいない彼女はお母さんのことです。

曲は誰がどのように聴こうが自由です。

でも、この曲を自分と母親に当てはめて聴くと
また自分の中での響き方も違ってくるのではないでしょうか。


なんか、「君が僕を知ってる」について書くにあたって
なんだかとっちらかっちゃいましたが、
本当にこの曲は特別なんです。

これはボクに限った話ではありません。

音楽家・菊地成孔さんがこの曲に出会った瞬間のことを
文章に残しておられます。


そちらを引用して、このブログを締めたいと思います。

どうもありがとうございました。 




それがいつだったか、どこでだったかは一切憶えていません。
余りの事に、忘れ切ってしまったのです。
ある日テレビジョンを観ている時に、画面で故人が歌い出しました。
ワタシは「お、キヨシローだ。<いけないルージュマジック>歌わねえかな」などと思いながら何気なく番組を見ていました。
 ただしい記憶ではないので、ファンの方々には失礼に当るかもしれませんが、もしよろしかったら、正しい情報は、どうかワタシに教えないで下さい。
ワタシは、曲のタイトルも憶えていませんし、メロディの動き方も憶えていません、正しい歌詞も憶えていません。
しかし、以下の様な言葉をはっきりと憶えています。
シンプルなコード進行に乗って、故人は、一行ずつ絞り出す様に、しかし軽やかに、こう歌い出しました。




 オレがどんなにわるいことをしても
 オレは知ってる
 ベイビー、おまえだけは オレの味方

 オレがどれだけウソばかりついても
 ベイビー、おまえだけは オレを解ってくれる
 オレは知ってる




 ワタシは、自分が、日本の音楽を聴いて、これほど泣くのだと言う事に、当惑する程でした。
涙が流れたとか、嗚咽が止まらなかったとか言う問題ではない、ワタシは全身全霊が泣き果てて、泣いて泣いて、この曲が終わる前に、幸福で死んでしまうのではないかと思いました。
 この歌詞を、落ち着いて口にしたり、キーパンチしたりすることが、ワタシは一生出来ないでしょう。
今こうして、たった100文字に満たない言葉をキーパンチするだけで、ワタシの目玉はずぶぬれになり、鼻からは滝の様な鼻水が流れています。
読み返すと、更に涙があふれて来ます。
こんなに人は泣けるのか。と呆れる程です。
ワタシは、フォークソングの門外漢として、日本語のフォークソングは、生涯に一曲、フォーククルセイダーズの「あの素晴らしい愛をもういち度」だけあれば、そして、日本語のソウルとブルースは、この1曲があれば事足りると思っています。
 この曲がワタシを永久に泣かせてしまう力は、不謹慎を承知で申し上げるならば、故人の死、そのものよりも遥かに大きい物です。
死は、遅かれ早かれ、我々全員にやってきます。
故人が故人になったことで、多くの人々が泣きました。
わたしはそれにつられて、場合によっては自分も泣いてしまうかも知れない。と思い、2日間もやもやし、当欄を書き始め、故人の死よりも、この曲の歌詞の方が遥かに巨大な力でワタシを泣かせる続ける事を改めて知ったのです。
ご冥福をお祈り申し上げるなどといった事ではぜんぜんありません。
あれだけ福の多かった方が、冥土で福に恵まれない訳が無い。
安心して故人を見送り、そして彼が残した、我々のハートから抜ける事のない永遠の楔を、噛み締めようではありませんか。
フォークとブルースの神が我々に授けた辛苦と歓喜を、死ぬまで背負おうではありませんか。
オレがどんなに悪いことばかりをしても。オレは知ってる。ベイビー。オマエだけは、オレの味方。
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