まず、ぼくが困っている。

我が家も困っている。

世田谷区も困っている。

当然、日本も世界も困っている。

困っているということは
言いようもない不安に襲われているということ。

ほら、急いで!

そういうときに限って悪魔の囁きが聞こえてくる。

「もう待ったなしだから!」
「ほら、急いで!」
「早く決めたほうが絶対にいいから!」
「このままだと本当にヤバイ!」


確かに困っている。
めちゃくちゃに困っている。

だけど、それは案外来年くらいのことなのに
さも明日にでも生活が立ち行かなくなるのではないか
思い込まされてしまう。

実は自分で不安になりたがる

いや、思い込まされてしまうは違うな。

自分で積極的に不安になりたがるし
勝手に焦りだしているだけだ。


もしかしたら、決断に迫られているギリギリの状況に
脳が勝手に
“いま真剣に生きてる瞬間だぞ”
というシグナルを間違って送っているのかもしれない。

不安感のなかで脂汗をかいている時間こそが
人を成長させるのだと勘違いしているのかもしれない。

焦っていいことなんて何もない

これ、ぜーーーんぶ間違ってますから。

絶対にそんなことないから。

と、こうやって書きながら
自分に言い聞かせてますから。

焦ってもいいことないという
“自分洗脳”です。



内田樹先生の原稿より

というわけで内田樹先生の原稿から引用します。

「スピード感がない」というのは、いまの政治を否定的に論評するときの流行語になっている。
同じように「まったなし」というのが財政危機や景況についての形容の定型になっている。
状況は「まったなし」で切迫しているのであるから、「スピード感のある」対応が必至である、という言明は整合的なように聞こえるけれど、こういうものは繰り返し口にしているうちに、しだいにその本義を失って、ある種の「呪文」に化すことがある。
「ちょっと待て、その政策でいいのか?」という政策の適否の吟味そのものを「スピード感を殺ぐもの」として否定的にとらえる環境を作り出す。
いま、とりあえずマスメディアの論調はそうなっている。
「『まったなし』の状況に『スピード感のある』対応をするためには、政策的な適否について時間をかけて論じている暇はない」ということを早口で、相手の腰を折りながら、大声で、政治家も評論家も新聞の社説もテレビのコメンテイターも街頭でインタビューされる市民たちも、口を揃えて言い立てる風景を想像すると、なんだか気が滅入ってくる。
というのは、日本の政治史をふりかえると、政策的な「大失敗」はつねに「拙速」の結果だからである。



7月2日は東京都議会議員選挙ですよ。

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