うちの実家は大阪の門真市で40年間、
居酒屋てんぐという店を営業していたのですが
今日、ついに幕を閉じました。

僕も学生時代には4年間、バイトをしていました。

さっき、親父に電話したら号泣号泣、また号泣。
思わず僕ももらい泣きしてしまう始末。
「こんなに幸せな商売人人生はない」
と何度も言っていました。

今日は店中は花だらけだったらしく、
口コミで懐かしい人たちがたくさん訪れたそうです。

僕もてんぐの最後を見届けようと
大阪に入ると言ったのですが、
「老兵去るのみ。店も汚いし来んといてくれ!」
と言われたので、
「誰が行くかい!」
と意地を張っていたのですが
やっぱり行けばよかったなと後悔しています。

とにかくうちの親父は働き者で、
40年間、糖尿で入院した時以外、
定休日の日曜日を除いてはほとんど休んだことはありません。
どんなに体調が悪くても
ずっと長靴を履いて店に立ち続けました。

水商売というのはやはり楽ではありません。
特にうちなんかは、料理よりなにより
お客さんが皆、親父の顔を見て
元気をもらうために来ているので
親父は常に元気な顔をしなければいけないのです。

それを、居酒屋で40年、
その前に八百屋を5年やっていたので
実に45年間、やり続けたというのは、
自分の親ながらたいしたものだと思います。
「お父さんは人の3倍働いたよ」
と、僕は電話で言いました。

商売をしている家というのは
家庭も犠牲にならざるを得ないことがたくさんあります。
うちは幸いにしてずっと店がはやっていたから
お金に困ったことはないですが、
やはり家庭のことは後回しにされることが多くて、
「普通のサラリーマンの家に生まれたかったな」
とよく思っていました。

ただ、いま、曲がりなりにも社会人として
僕がご飯を食べていられるのは
結局は親父が店で働いている背中を見ていたからだと
最近強く思います。

原家で僕だけが異端で
まるで両親に似ていないと
若い頃はよく思っていました。
でも40を過ぎて思うのは、なんてことはない、
原家の子以外の何者でもないなということです。

「店やめて何するの?」
「四国八十八ヶ所巡りと、
門真の地域貢献」
と言われ、心のなかで
「嘘つけ、絶対にせぇへんやろ!」
と思ったのですが、
まぁ本当に思い込んだらやり抜く人なので
遠目に様子を見ていようと思います。

大阪の門真という寂れた町の
小さくて汚い店が一軒閉じたというだけの話。
でも、少なくとも原家の中で
一つの歴史が終わりました。

原光徳さん、本当にお疲れ様でした。
スポンサードリンク