いま、サブカル界では
フリージャーナリストの上杉隆さんと
映画評論家の町山智浩さんの論争が熱い。

そのツイッターでのやり取りはこちらを読んでいただくとわかりやすい。
個人的には、上杉隆さんが謝るタイミング、
間違いを認めるタイミングを失って、
いたずらに事態を悪化させているだけのように見えるがどうだろう。

それはともかく、今回の件は「謝罪とはなにか?」
ということをとても考えさせられた。

まず僕のことから。
僕はわりと謝ることが多い。

理由は色々ある。
●負けず嫌いな生活ではない。
●謝って丸く収まるならそれでいいやという
典型的な日本人である。
●自分の事ならともかく、部下、後輩のことで
謝らざるをえないケースもある。

「謝るヤツってどうよ?」
これは自分でどう判断していいのかわからないままに
40を超えてしまった。

いくらやむを得ない事情があるとはいえ、
謝ることを受け入れるヤツには
知らず知らずのうちに「謝りぐせ」がついてしまうと思う。
それは態度、眼力にも表れ、
要するに「ナメられる」ことも多々ある。

おそらく僕はそういうタイプだ。

翻って、これまでの、いや、特に『紙のプロレス』時代では
まわりはほとんどなにがあっても謝りそうにない人達ばかりだった。
どう考えてもこっちが謝らなければならないような事態であるにも関わらず
無理矢理両者リングアウトに持ち込む場面を
何度か見てきた。

僕はそのたびに、山口編集長や柳沢社長を
「凄い!」
とリスペクトしていた。
それは要するに交渉上手ということだ。

僕は自分が劣勢に立たされているにも関わらず
交渉で相手を丸め込むような技術など持ち合わせていない。
それができているかどうかは別にして
「誠心誠意謝ったら相手もわかってくれる」
という心構えで事に臨んでいるからだ。

いや、こう書くと、僕が誠実で
山口さんや柳沢さんらが底意地の悪いやり手というふうに思われるかもしれない。
しかし、これは僕がわりあい狭い範囲での社会や人間関係で働いているから
最後は“情”に訴えかけようとしているだけで
本来のビジネスではシビアな交渉の中にしか答えはないはずだ。

でもなぁ。
何事においても
「俺は絶対に謝らないぞ」
という姿勢だと、どこかで引っ込みつかなくなることも
きっとあると思う。
だからやはりどんな人間でも
間違いを、誤りを、負けを認めないといけない時ってのは
絶対にあると思う。
「絶対に謝らない」
という生き方はそもそもが無理があるはずだ。

いや、でもなぁ。
「俺は絶対に謝らないぞ」
という眼力だけはやっぱり持っていたほうがいいな。
そういう人のほうが魅力的だし。

うーん、だんだんわからなくなってきた。
ただ、こんな例もある。
谷川貞治さんだ。
谷川さんはぺーぺーだった僕にすら、
しょっちゅう、
「おー、タコちゃん、ごめんごめん」
なんて言っていた。
あまりに「謝罪」を安売りするせいで
いくら謝っても谷川さん本人は
なにも傷がつかないという
奇跡のような生き方もあった。

そういう意味ではホンマに勉強になったな、あの頃。

それはそうと谷川さんもいまは大変なはず……。

「謝罪問題」は僕の中でますます大きくなるばかりだ。
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